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カテゴリー: Violin

新しい音楽人生出発のご挨拶

新しい音楽人生出発のご挨拶

Ohtani Yasuko Light Blue1 みなさま、26日、27日の公演(東京交響楽団、サントリーホールとミューザ川崎定期演奏会)が終了しまして、私の新しい音楽人生の始まりです!
 学生時代に、東京シティフィルにコンサートマスターとして入団させていただき、その後首席コンサートマスターを、通算13年務めさせていただきました。すでにNHKのテレビにも出演しているオーケストラで堤俊作さんを慕い、ユースオーケストラの海外ツアーに参加された方々が中心となって作られたオーケストラでした。私は何代目かのコンサートマスターでしたがみんな若く、演奏旅行も楽しかったです。またバレエ音楽にはコンサートマスターのソロがたくさんありますし、コンチェルトも度々弾かせていただいて、”場をふむ”ことがいかに大切か!を体験できました。東京文化会館大ホールで、コンチェルトを3曲一挙に弾かせていただいたのもよい思い出です。このオーケストラ活動と平行してリサイタルやトークコンサート、また学校コンサート(幼稚園、小学生や中学生などが対象)、また病院や施設でも訪問演奏を始めました。今もこの活動はとても大切だと考えています。
 そして1994年秋に東京交響楽団、当時の楽団長金山茂人氏(現最高顧問)とのお話により翌4月1日に移籍しました。東京シティフィルの仲間とも、ずっと交流が続き定期演奏会にはソリストとして共演させていただいています。ピアニストとしても名高い志田明子団長は、なにしろ芸大附属音楽高校からの同級生です。

 東京交響楽団では、コンサートマスターに対しての楽団員アンケートが実施され、その意見が強く反映され契約が続くか、切れるかに影響します。入団後”なかなか厳しいものだなあ…”と思っていましたが、信頼していただけたようで、途中ソロ・コンサートマスターのポストをいただき、なんと!通算21年間!! 自分でもこんなにも長く務めさせていただく…とは思っていませんでした。この間のことは金山茂人氏の著書「楽団長は短気ですけど何か?」(水曜社)におもしろおかしく書いて下さっています。
 パーヴォ・ヤルヴィさんとの「英雄の生涯」(先月末ヤルヴィさんとこの時のことをお話したばかりです。)、またダニエル・オーレンさんとの「ナブッコ」(これについてはN響の機関紙”フィルハーモニー”に<名演の生まれる時>という題で以前書かせていただきました。)など感動のコンサートは数え切れません。
 このたび契約満了を機に、これからは自分の表現したいことを思いきりソロでやっていきたい…と思いました。これまでも年間100回におよぶソロ活動をしていましたが、今後は専念するつもりです。
 東京交響楽団からは、今まで21年もコンサートマスターを務めた人が他にいらっしゃらなかった…ということで、楽団初の名誉コンサートマスターという称号をいただきました。光栄なことです。称号に恥じないように精進していこう!と思います。
 最後の公演は、ロシアの巨匠キタエンコさん指揮、同じ事務所(ジャパンアーツ)の若手ヴァイオリニスト成田達輝さんの個性をいかした鮮やかなチャイコフスキーのあと、ショスタコーヴィチNo.5。重厚な、そして哀しみ、諦め、静かな恐怖、立ち向かう意志、信念を貫くエネルギー…などなど団員一同、迫力ある表現もできたかと思います。

 サントリーホールでも、ミューザ川崎でも、客席から「やすこさん ありがとう!」という声をかけて下さったり手を振って下さったり!私もおひとりおひとりに届くように…と思いきり、腕がちぎれそうなくらい手を振りました。

 みなさま 東京シティフィルから数えると…34年間…温かく応援してくださいまして本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。

 終了後、またまた感動でした。打ち上げを企画してくださって、金山さんや大野楽団長はじめ事務局の方々、OBまでいらして、弦楽器、また管楽器の方々もびっくりするほどいらしてくださいました。そのうえ私が長年勉強させていただいたのに「感謝の集い」となっていて、”え〜っ!はんた〜い!私が感謝しているのに…”と思いました。

 ベテランから若い新人さんまであんなにたくさん集まって下さって!!
 本当に私はしあわせ者だなあ…と感じていた矢先、金山さんから大きなお声で「大谷さん!あなたはしあわせな人だよ〜!!」と叫ばれてしまいました。はい、感謝しています!!

 仲間に支えられて勉強させていただいて、音楽体験を重ねることができました。ありがとうございました。

 今後はハクジュホールで10年プロジェクトが始まったり、また4月6日からはTV新番組も始まります。他にも色々なコンサートがありますから順にお知らせしますね。

 これからもっと精進して、少しでも作品の本質に近づければ…と思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 テレビは4月6日から、BSジャパン(テレビ東京系列)毎週水曜日、夜23時30分から30分番組「おんがく交差点」です。お噺の達人、春風亭小朝師匠と番組をすすめます。毎週多彩なゲストをお迎えして、お話したり、また私の演奏、ゲストの方々とのコラボレーションも楽しみにしてくださいね。

 さあ、次のおんがく人生、出発です!

大谷康子

 

大谷康子さんの魅力

大谷康子さんの魅力

羽田健太郎

私は数多くのViolinistと共演しているが、大谷さんとご一緒するステージが最も実り多い充実した演奏が出来ると思っている。それは全て彼女自身が発する豊かな音楽の喜びをピアノを弾いている私にも分け与えてくれているからなのである。少女時代から天才の名を欲しいままに育ち、輝かしいコンクールの受賞歴や13年間勤めた東京シティ・フィルのコンサート・マスター、その後9年目を迎える東響のコンサート・マスター等、我が国の音楽界で名誉ある重要なポストを歴任してきた。

ソリストとしても室内楽においても精力的に演奏を続け後進の指導にも力を注ぎ、眠る時間も無い位な忙しさの中で心休まる趣味の時間は?と質問したら『私、ヴァイオリンを練習している時が一番リラックスできる時間なの!』と平然と答えたのには驚かされた。本番であれ、練習であれ彼女はヴァイオリンを弾いている時が最高に幸福な時間なのだ。

何年か前に雑談の中で2人でDuo Recitalやりたいね?と提案したら即座に『ええ、是非!』と快諾してくれて、やっと実現の運びとなりました。勿論TV番組や地方公演の名曲コンサート等ではしょっちゅう共演の機会を頂いていますが、クラシック作品だけで一晩プログラムを組むのは初めてですし、何と言っても日本最高の「チゴイネルワイゼン」が聴けるというだけで、今夜はワクワクしています。

※2004年3月12日(金)に行なわれた「羽田健太郎&大谷康子デュオコンサート」のプログラムより抜粋いたしました。


「故羽田健太郎さんとは、全国各地でコンサートをしました。たくさん楽しい思い出があり、今でも思い出すたびに涙が出てきます。何でも弾けてしまう天才ピアニストでその上お人柄もすばらしかったです。もう一緒に演奏できないかと思うととても残念です。このプログラムは2004年3月12日のデュオコンサートのもので、羽田さんが書いて下さった文章を当日初めて読んでうれしくて、それ以来私の宝物です。羽田さんには感謝しています。」 大谷康子

クァトロ・ピアチェーリ

クァトロ・ピアチェーリについて
かねてから音楽的に共感し、また人間的にも信頼しあっていた4人が集まって、2005年、新しい弦楽四重奏団「クァトロ・ピアチェーリ (Quattro Piaceri)」を結成いたしました。それぞれ日本のオーケストラや室内楽の分野で、なくてはならない存在として知られている我々4人が、いよいよ本格的にカルテットとしての活動を開始いたします。古典から現代音楽まで、幅広く豊かな演奏経験を持ち合わせた4人ならではの、質の高い演奏をめざしますので、どうぞ応援よろしくお願いいたします。
音楽の楽しさ、演奏する喜びをお伝えできる弦楽四重奏団でありたいと願って、イタリア語で「喜び、楽しみ」という意味の「ピアチェーレ」を複数形にして、グループ名に掲げました。年2回の定期演奏会では、ショスタコービッチの全作品と共に、同時代に生きる邦人作曲家の優れた作品、また海外のユニークな作品も取り上げて参ります。とかく難解と思われがちな現代作品が、クァトロ・ピアチェーリの手にかかれば、いかに楽しく、時代の息吹を伝える音楽であるかを感じていただけることでしょう。どうぞご期待ください。

image_topics_06私(大谷)はこれまでソロ、室内楽、オーケストラのコンサートマスターを三本柱として、古い時代から現代作品に至るまで、幅広く演奏してきました。特に大学院時代のテーマは現代音楽の奏法でした。そんな私ならではの演奏を極めてみたいと思います。
このメンバーの結成は実に自然でした。チェロの苅田さんからの発案でしたが、練習していても、おしゃべりしていても、まるで家族・兄弟のように理解しあうことができます。こういう仲間たちでこそ、音楽の本質を楽しくお伝えすることができるだろうと、私たち自身も楽しみにしています。ショスタコ―ビッチの全作品を演奏いたしますから、少なくとも将来10年間は演奏の予定が入っているわけです。

私以外のメンバーのプロフィールも紹介いたします。
●第一ヴァイオリン 大谷康子
これはもういいですね。

●第二ヴァイオリン 齋藤真知亜
東京芸術大学を首席で卒業。1986年NHK交響楽団に入団。1991年津田ホールにて初リサイタル、好評を博す。1998年宮崎において松浦宏臣(ピアノ)らと「トリオ・メルヴェイユ」結成、以後九州各地で演奏会を催す。1999年からは自主企画リサイタル「Vaologue (violin + dialogue)」を毎年開催し、様々な楽器との共演や、軽妙なトークは回を追うごとにファンを増やしている。2001年「Matthias Musicum Ensenble」を結成、またこのグループを母体としたカルテット「Matthias Musicum Quarutett」も結成し、以後合奏団・弦楽四重奏の両輪で全国各地で演奏している。故西崎信二、奥田富士子、故兎束龍夫、海野義雄、二村英之、山口裕之の各氏に師事。現在NHK交響楽団第一ヴァイオリン・フォアシュピーラー、東京音楽大学非常勤講師。他にも、指揮者としてジュニア・フィルを指導するほか、自らの馬頭琴・口琴を織り込んだコンサートも行ない、幅広い音楽活動を行なっている。DCに、「シェーンベルグ/月に憑かれたピエロ」(TaRaGaレーベル)、「ザ・ビートルズ・オン・ストリング・カルテット」(Vapレーベル)、「弦楽四重奏による<ドラゴン・クエスト>」(アニプレックス/SUGIレーベル)がある。

●ヴィオラ 百武由紀
東京芸術大学卒業、大学院修了。井上武雄、浅妻文樹、ウィリアム・プリムローズ、セルジェ・コロー各氏に師事。1975年デビュー・リサイタルを開催。以後、現在に至るまで、オーケストラ、室内楽、ソロで多くの演奏会、録音の場で活躍している。1999年まで東京都交響楽団に在籍し、主席奏者をつとめた。国内外の音楽祭にゲストとして多数出演するほか、カール・ライスター、ウルリッヒ・コッホ、オレグ・クリサ氏など外来演奏家とも多数共演している。邦人作品、現代曲の初演も多く手掛けており、1999年日本音楽コンクール作曲部門の演奏に対して、審査員特別賞を受賞するなど、高い評価を受けている。ニューヨーク・カーネギーホールにおける演奏会でも邦人作品を紹介している。現在、東京シンフォニエッタメンバー。東京芸術大学および附属高校、東京音楽大学、名古屋音楽大学(特任教授)などで教鞭をとる。

●チェロ 苅田雅治
伊達三郎、井上頼豊、斎藤秀雄の各氏に師事。桐朋学園大学卒業。1973年第42回日本音楽コンクール・チェロ部門第1位。1982~90年東京都交響楽団主席チェロ奏者をつとめる。1982年よりニューアーツ弦楽四重奏団に参加し、団として1992年第4回飛騨古川音楽大賞奨励賞、1994年度文化庁芸術祭賞、1995年第12回中島健蔵音楽賞を受賞した。個人として1992年第11回中島健蔵音楽賞受賞。国内の主要現代音楽際に常時出演しており、独奏者としての評価も高い。現在、東京音楽大学教授、桐朋学園大学講師、東京芸術大学講師。

華麗なるコンサート・ミストレス

華麗なるコンサート・ミストレス大谷康子    金山茂人

いつ頃だったか記憶は定かではないが、あるパーティーの余興でモンティの難曲「チャルダッシュ」をいとも楽しげに「奏き歩き」とでもいうか、お客様の間を泳ぐ人魚の如くヴァイオリンを奏でている達者なヴァイオリニストに遭遇した。大谷康子との最初の出会いの瞬間であった。その後縁あって東京シティ・フィルから当楽団に移籍したが、いまや日本のヴァイオリン界をリードする重要な一人といっても過言ではあるまい。
最近あらゆる分野で女性の進出が著しいが、プロのオーケストラにおいても優秀な女性奏者が大勢いる。しかしコンサート・ミストレスまで昇り詰めた奏者は数少ない。ましてやオーケストラだけではなく、ソリストとしてもこれほど活躍しているヴァイオリニストは稀である。しかも彼女のスケジュールを知るととても並のコンサート・ミストレスでは通用しない。

仕事の中心は東京交響楽団ということには変わりないのだが、当楽団年間150回前後のコンサートをこなしている。大谷さんはこのうち約半分の70~80回が出番である。これだけでも大変と思うが、その他当楽団が関知していないスケジュールの透き間に、全国からリサイタルやチャリティコンサート等の要望が殺到する。更に東京音楽大学の教授という重要な肩書きが加わる。何でも常時お弟子さんが30~40人いるらしい。そればかりか教授会、諸々の会議等、行事が多く相当束縛される。その他受験期になると受験生が押しかけ、いったい彼女はいつ眠るのかというのが音楽界の七不思議の一つとなっているのも無理からぬことだ。ようするに一流の音楽家というのは技術だけでなく、気力、体力とも並はずれたバイタリティが必要ということがご理解いただけよう。
ちなみに彼女の当楽団での立場は終身雇用ではない。一年毎の契約団員である。もしちょっとでも調子の悪い日が続くと「彼女最近大丈夫なの」ということで次年度は契約解除ということになりかねない。全楽団員の憧れであるが、その分妬みもすごく恐いポジションである。定期会員の方々をはじめとして彼女をいつも聴いて下さっている方には説明はいらないが、一度も見たことがないという方にとって、そんなに恐い席でも堪えられる人なのだからきっと物事に動じないどっしりとした恰幅の良いおばさん風を想像しがちと思うが、実際の大谷さんは華奢で10m以上離れるとうら若20代と錯覚する。もっとも難しいのはたとえ音楽家として技術が一流であっても人物に問題があると務まらない。その点、性格は底抜けに明るく、楽員からの信頼も厚い。その上食欲たるやものすごくそして喋り魔。つまりヴァイオリンを奏いている時を除けば口はアケッパナシということか。家庭では意外にも(失礼!)賢夫人で通っている。一方的に食べるばかりではなく料理が得意で、たまに休みがあると旦那様のために腕を揮うのだという。ダンナ様というのは某大学病院の病理学の助教授とのこと。ときどきコンサートに見えるが一見茫洋とした風貌と大人(だいじん)風の人格者と思わせる方でこのような風格を漂わせる人だからこそ大谷さんに相応しいのであろうと周囲は納得している次第。
しかし人間いかなる大人物でも欠点があるから人生は楽しい。家の掃除が嫌いなのかあるいは時間がなくて出来ないのか不明ながら、噂によると4年程前に引越した豪邸に一歩踏み込むと足の踏み場もなく、あらゆる物があちこち散らかっていて、レッスンに訪れる生徒さんはレッスン室まで掻き分けカキワケながらやっとのことで到着するのだそうだ。大谷さんはサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を日本で最も多く演奏している記録保持者ではなかろうか。確かに多い時は月5~6回というのも珍しくはない。しかも演奏毎に新しい発見があり、「小品ながらあらゆる表現力、テクニック、音楽性を兼ね備えている名曲」と大谷さんは断言する。今夜演奏するラロの「スペイン交響曲」もきっとお客様を満足させてくれると確信しているが、一度ぜひ「ツィゴイネルワイゼン」の名演も聴いてくださる機会を見つけたいものだ。
彼女は電車に乗っていても、駅の構内、デパート等々とにかく人が集まっているところを見ると「皆さ~ん、私のヴァイオリンを聴いてくださ~い」と楽器をケースから取り出して奏きたくなるのだそうだ。このことはまさに大谷康子の音楽に対する哲学的原点であり、生まれつきの「ヴァイオリンの権化」とは、このような音楽家のことをいうのであろう。

オーケストラの名演とは

すべての条件が整った時のみに起こる感動の名演

“オーケストラの名演”。毎回のコンサートがそうでありたいものです。名演のようなものはたびたび経験しています。しかし、聴衆の方々も大満足、指揮者も含めた演奏者側も納得のいく演奏というものは、すべての条件が備わった時にのみ起こる感動なのです。その条件とは‥‥。
まず、何といっても指揮者(!)です。作品の内容を深く掘り下げてそれを構築する力。楽器間のバランス感覚を持ち、楽員を時に掌握し、時に自由に任せることのできる柔軟さ。強烈な個性。しかもその個性が共感できるものであること。音楽に対峙する姿勢にパワーが感じられ、ついて行きたくなるようなカリスマ性があること。
私たちはこういうすばらしい指揮者に応えられる楽員でなければなりません。どんな音楽的な要求にも対応できる技量を持ち、それがたとえ自分の好みと一致しない場合でも、一度は試してみる度量も必要です。そこから意外な発見があるものです。しかし、ここで大切なことは、楽員が指揮者に対して従順なだけでは、真の名演にならないということです。近現代作品のよほど複雑な楽曲以外は、指揮者がいなくても演奏できます。指揮者なしでそれぞれのセクションが自発的に音楽を発散し、緊密なアンサンブルをすることができる‥‥、そういう状態の上にすばらしい指揮者が方向づけをしてこそ名演となるのです。ですから私が個人練習をする時に、音を出しての練習より、スコアを読んでいる時間の方が長いかもしれません。はっきりした音楽的方向にアンサンブルをリードできるようにスコアを読んでいると、イメージが膨らんで、これがまたとても楽しい時間なのです。
実際にリハーサルが始まって納得のいかない所がある場合は、指揮者やそれぞれのセクションに尋ねることもあります。私自身のやりたいことはすぐに顔に出てしまうようで、東響に入団してすぐ、ヴェテラン楽員の方から、「あなたはわかりやすい人だねえ。顔にすべて書いてあるね」とからかわれました。すべて見破られているようです。
本番のホールの響きがすばらしいと充分歌えて、音色も多彩に変化できて、気持ちの良いものです。またプログラムの得手不得手、聴衆の温かい雰囲気なども、演奏する気分に影響することは確かです。しかし、そのことによって演奏の質が左右されるようではプロではない、といつも戒めて臨んでいるつもりです。

そんな中、忘れられないコンサートがあります。サントリーホールでのオペラで、ダニエル・オーレン指揮の《ナブッコ》。ユダヤ人のオーレンにとって、この題材は彼の祖国への想いと合致するもので、この強烈な個性の指揮者の練習は厳しい要求の連続でした。普段は落ち着いた紳士なのですが、練習中はほとんど猛獣状態。絶対妥協しないしつこい練習です。
第3幕のあの有名な合唱、「行け、わが想いよ、金色の翼に乗って」では、オーケストラもコーラスもなかなか彼の求める音にならない。私も頭ではヘブライ人の故国への万感の想いというものを理解しているつもりですが、そこが悲しいかな、頭の中だけなのです。オーレンは「もっと被せた音にしろ」など技術的な要求を続けましたが、はたと指揮棒を置き、切々と話し始めました。「あなた方日本人には幸せなことに祖国がある。だから私たちユダヤ人のこういう感情は理解できないでしょう。でも、お願いだから、少しでもこの気持ちに近づいて演奏して欲しい」。-それまでライオンのように吠えまくっていた彼が静かにこう話した時、その場の空気が凍ったように静まり返り、彼の強い想いに応えなければ、と皆の気持ちがひとつになりました。すると、それまでに出したことのないような柔らかいpの音が出たのです。本番ではその合唱の途中でオーレンは指揮台で手を合わせて祈り始めました。リハーサルでも聴けなかったすばらしい響きとなり、私も涙が出てきました。感動的な経験でした。これはライヴのCD(ユニバーサルミュージック IDC6072~3)になりました。
オーケストラの演奏は、それぞれのコンディションもあり、まさになまものです。スリル満点のこともありますが、これからも毎回ホール全体が感動の渦になるような演奏を目指していきたいと思っています。

大谷康子の医学論文

病院コンサートでの触れ合い

私が初めて演奏家としての自分なりの目標の実現に第一歩を踏み出したのは1996年,国立療養所長良病院でのことだった。ここのあかつき病棟には入院している筋ジストロフィー症の患者さんたちによるサンライズというバンドがすでに結成されており,院内には音楽室まであって,筋力が失われていく方々でも操作できるようなシンセサイザーが完備していた。もともと私の小学校時代の同級生がそこの小児科医をしている関係で,病気に苦しむ子供たちに美しい生の音楽を聴かしてあげたいという話から,入院患者さんたちの前でのコンサートを頼まれたのだが,それならばそのバンドとの共演もしようということで実現したものである。

サンライズの患者さんが作曲した『生まれたての朝陽のように』という作品を一緒に演奏した。心を打つような美しいメロディーの曲で,メンバーは素晴らしい笑顔で演奏していたが,私の胸には込み上げるものがあって感動的であった。
その後,病院の一角の大きな部屋で,入院患者さんや付き添いの方や職員の方々に私のコンサートを聴いていただいたが,普通の演奏会にいらして下さる聴衆とは大きな違いがあった。ほとんどの患者さんは自力で歩くことが出来ず,車椅子かストレッチャーで会場に連れて来られており,多くの方が点滴をつけている。また拍手も思うにまかせない患者さんも多かったが,その代わりに声を発したり体を揺すったりして,私の演奏に声援を送って下さっていた。

またその会場にさえいらっしゃれない患者さんたちのために次に私が各病室を回って演奏したが,外から見ただけではほとんどと言っていいくらい表情や動きの無い患者さんでも演奏後に声を発して下さったりして,私の演奏を聴いてくれたんだということが判り,とても嬉しかった。また私に付き添って病室を回られた看護婦さんが,入院中の子供たちの前では「こんな近くで聴けて良かったね」などと威勢よく励ますような口調で喋りかけているのだが,廊下に出るとそっと目頭を押さえていらしたのも印象的だった。

私はこの国立療養所長良病院の他にも,いろいろな方の協力でいくつかの病院で演奏させていただいた。喘息の子供たちの病院や精神病院などもあり,どうして世の中にはこんな病気があるんだろうと恨めしく思うこともある。患者さんやご家族の方の苦しみを考えると何ともいたたまれない気持ちになるが,本人やそれを日頃支援されている職員の方々の状況は,おそらくそんなセンチメンタリズムだけではどうにもならないことが多いのだろう。しかしこの仕事を通じて,いろいろな方々と接して闘病生活の一端に少しでも触れることが出来たことは私にとって貴重な経験であったし,またこんな私のような者の演奏でもそういう方々の心の支えになることができれば非常に嬉しいことであり,今後もこのような演奏活動を続けて行きたいと思っている。

最近では音楽療法といって,音楽を通じて患者さんたちのリハビリなどを進めて行こうという研究も進められているが,世の中にはいわゆる不治の病で,現代医学でも治療法がまったくない病気に苦しむ方も多いことを知らされた。そういう方々の大部分は長期間の入院を余儀なくされており,当然のことながら普通の演奏会などを聴きに行くなど至難のことである。

少し話は変わるが,世の中にはいわゆるクラシック音楽とは格式のある立派なコンサート会場に行って,威儀を正して聴くものだという考え方が根強く残っているように思えてならない。小中学校の音楽教室などに行っても頭ごなしに聴衆たる者のマナーを叩き込まれている子供たちを見ていると,もっと自由に振る舞わせれば本当は目の色を輝かせて聞き入ってくれるのに,これではクラシック音楽が嫌いになってしまうのも無理はないなと気の毒に思うことすらある。まして長期入院中の不治の病気の患者さんたちが演奏会場に足を踏み入れるなどとんでもないということになりかねない。

私が精神病棟で演奏させていただいた時には,例えばツィゴイネルワイゼンなどの激しい曲想の作品は弾かないで欲しいと言われてびっくりしたことがあり,確かにそのような患者さんたちはもっと静かな曲でも演奏後にピアノにしがみついて大騒ぎしたこともあるが,しかしそれもその患者さんにとっては音楽に接することのできた喜びをその人なりに表現しているに過ぎないのだと感じた。

音楽に(もっと広く言えば芸術に)触れる喜びは万人共通のものであるはずで,どんな患者さんであろうと例外ではない。だがその喜びの表現方法があまりに普通の方と異なる人がコンサート会場に入場することは恐らく難しい問題を引き起こすだろうし,ベッドに寝たきりになった方々の場合も医療的な安全を期することが困難であろう。

ではどうすればよいのか。私は演奏家自身が音楽を求める人々の中へ入って行くことも必要だと日頃から考えていた。立派なコンサート会場を手配して貰って演奏を聴かせてやるという態度は間違いである。

またボランティアという考え方とも違っている。芸術を志す者はいろいろな人々の間に進んで入って行って,人々の喜びや心の痛みや悲しみを肌で感じなければならない。つまり私が病院でコンサートを行うのは患者さんたちのためだけではなく,演奏家を志した私自身のためでもあるのだ。

先日(1998年1月5日)再び国立療養所長良病院を訪れて彼らの新曲を一緒に演奏してきたが,その折りにまたの共演を約束した。私は今後も時間の許す限りいろいろな施設に出かけて行って,人々との触れ合いを深めて行きたいと願っている。

中野稔さんのCD発売にあたって

中野 稔さんとの出会い

image_topics_05大きな眼を輝かせた中野 稔さんとの出会いは、私にとって忘れることのできないものであった。病に負けず作曲に打ち込む姿が衝撃的だったのである。それはちょうど10年前、国立長良病院でのことであった。ここに勤める私の小学校の同級生、河野芳功君が「音楽で社会を明るくしたい、病院にも音楽を届けたい」という私の願いをかなえてくれたのである。そこで、、“音楽が大好き、特にヴァイオリンが好き”という中野さんが、人なつっこい笑顔で素敵な作品「ロンド」の楽譜を下さったのだ。その時以来、私はこの曲を大切に演奏している。「ロンド」を演奏するたびにあの日の中野さんを思い出す。病棟を演奏して回る私の前になり、後になりながら、車椅子でついて回る中野さんは本当に音楽が好きなのだなと感激したものだ。

中野さんの作品は世の中によくある癒しの曲とは全く異なるものである。心の奥深くから湧き出るかのようなメロディー、それは、時には魂の叫びや祈りにも通ずるもので、誰もが胸を打たれると思う。私は素晴らしい作品に感動して、胸がいっぱいになりながら、このCDを録音した。中野さんの音楽の、もの凄いエネルギーが私の全神経を集中させてくれて、この録音が仕上がったと思っている。

病院生活では創作活動に不便なこともあると思うが、そういったことは全く感じさせない。素晴らしい才能!私はこの出会いを人生の宝物だと感じている。一人でも多くの方にこの感動を伝えられるように、これからも心を込めて演奏したいと思っている。